きっといつまでも仮

まとめておきたいことが140字を超える時にだけお世話になりますね

蛮幽鬼について、名前とのことと英雄のこと

蛮幽鬼をご覧になってくださったみなさまこんにちは!!!!!!あれから4ヶ月ほど経ちましたがいかがお過ごしでしょうか!!!!!!!!!

今回は考察というほどのものではないですけれど、蛮幽鬼の放送が終わったあとに書こうとおもっていたことを書きます。ほんとうは上げるつもりはなくて、この前の蛮幽鬼の放送が終わったあとにすぐ書いてそのまま下書きに眠ってたんですけど、いっかなって感じでちょっと修正して上げました。文字数が果てしなく多いです。というか、あまりにも文字の羅列だったので上げる気がおきなくて(すみません)やっぱりブログ向いてないなあとおもいました。

今回は容赦なくネタバレを含むとおもいますのでまだ観てないよ!という方はご注意くださいね。



名前とは

なんなんでしょうね。蛮幽鬼って、人間のどうしようもない部分をふんだんに描いていて、そういうことを伝えたい作品なのかなと個人的におもうのですけれど、裏テーマはこれなんじゃないかなって思います。名前ってなんなの?

名前って、生まれた時につけられるものですよね。この子はどんな子に育って欲しい、この子の未来が明るいものであって欲しい、そんなおもいを込めて親が一生懸命に悩んで悩んで、悩んだ末につけるもの。そして、まだ小さな我が子に呼びかけながらミルクをあげたり、はいはいできるようになれば名前を呼んでこっちおいでってしたり。むずかしいな!!!!伝わるかな!!!!!つまり、名前は親の愛情のプレゼントなのでは?とおもうわけです。ついったでも言ったけど「名前を授かること=愛情を受けること」なんです(たぶん)。まあこれはあくまでも蛮幽鬼の中での解釈ですけれど。そして、そうやって親に名前を呼ばれながら成長する度に、知らず知らず自分の名前は〇〇なんだと自覚していく。名前ってそういうものじゃん?(たぶん)

この時点でなんとなくお察しかもしれませんが、じゃあサジは?というはなしになります。彼は1度も自分の名前を名乗りませんでした。土門が名前を聞いた時に、彼は厳しい顔をするんです。いつもへらへらしてるから、あっ地雷なのかな?って感じます。そして彼は手の中にある匙を見せて「サジとでも呼んでもらおうか」と言うのです。サジがなぜサジなのか「今日まで君(土門)はこの匙で土を掘って道を作った。だがこれからは、ぼくが君の道をつくる」だからなんですけれど、ほんとに、これだけ、なんです。これだけ。びっくりするくらいこれだけ。たったこれだけの理由で自分はサジだと名乗ったんですあの人は……。土門がバケツを使っていたら彼はバケツになっていたし、スコップを使っていたらスコップになったわけです。呼び名なんてどうだってよかったのかもしれないけれど、なにかほかになにもないんですかね、ほんとうに空っぽなんですね、サジと名乗る男というのは。彼はただの「土門の道を切り開くための匙」でしかないんですよ。

ここで少し刀衣のおはなしをします。刀衣は、狼蘭族であるにも関わらず、なんだか鳳来に馴染んだ名前をもっています。彼は狼蘭族でありながら鳳来国に流れ着き、その際美古都さまに命を救ってもらったと言っていました。そして美古都さまに忠誠を誓って、美古都さまのために戦う。それってかなりのことじゃない…?っておもいます。自分の人生をこの人のために捧げるだなんて、たとえ相手が命の恩人であろうと並大抵の覚悟ではないのでは。推測ですけれど、狼蘭族にとって基本的に人間としての尊厳とかないんだろうなあ。サジが「土門の道を切り開くための匙」でしかないように、彼らは常に人をころすための道具なんです。たぶん。劇中でサジが「自分の意思を持った殺し屋は早死するよ?」って言っていたように、狼蘭族とは常に依頼主に従う人殺しの道具であるべきという、根強いなにかがあるように見えたので。刀衣だって同じだったはず。むかしは。だから彼は鳳来に来て初めて美古都さまに愛情をもらったんだとおもいます。刀衣が刀衣という鳳来に馴染んだ名前を持っているのも、おそらく、美古都さまに付けてもらったのではないのかな。刀衣、刀衣って、あのきれいな声でたくさん呼んでもらったのかな。それは守りたくもなるよね。刀衣の「誰かを守って死んでいける気持ちよさ、君には一生わからないだろうな」という最期のことばに、サジは「わかりたくもない!」と返します。ここだけサジの口調が明らかに変わるんですよ…怒ってるのか、嘆きなのか、どうなんでしょう。これが同じ狼蘭族である刀衣とサジの決定的な差。というかサジ、たぶんほんとは刀衣が羨ましかったのかもしれない。っていうこれは完全な憶測ですが。

サジは劇中1度も他人の名前を呼びません。たったの1度も。不自然なくらい「きみ」「彼」「あの男」しか言わない。これは土門にも指摘されてました。おまえは1度も俺の名前もましてや自分の名前すら呼んだことがないなって。しかたないよね、だって、もらったことがないんだもの。しつこいようですけど「名前を授かること=愛情を受けること」なんです(たぶん)。彼は生まれてから1度も名前で呼ばれたことがない、というより、やっぱり生まれた時から名前なんて付けられてなかった気がします。だから人に名前を呼んでもらうことがなく、それは愛情を受けずに育ってきたということで、サジは1度も愛情なんてそんなものもらったことがなかった。もらったことがないものは、あげられませんから。そういうことなんだろうなあ、きっとね。きっつ。

土門に、次に会うときは本当の名前を教えてくれと言われた時にサジは、本当の名前なんてないよ、と返します。ずっと誰にも呼ばれず、自分を自分として認識出来ない空っぽだった彼のことばです。くるしい。でも「君にはあるのかい?」というサジの切り返しに、土門はちらっと美古都さまを見て「それもそうだな」とこぼしていました。土門はというと、サジとは違って、伊達土門という名前があります。でも、伊達土門というのは、国のために留学までして学問に徹していた彼であり、美古都さまが愛した彼であり、美古都さまを愛した彼のことです。果拿の国での事件によって土門は復讐の鬼となりました。浮名と空麿への復讐と、腐ってしまった鳳来国への復讐。その時から彼はもうすでに伊達土門ではなく、謀反人の飛頭蛮だったのです。美古都さまが土門を前にして「私の愛した彼はもう死んでいた」みたいに言っていたのも、きっとこういうこと。土門は自ら伊達土門という、愛情の証拠である名前を捨てたんです。もう捨てざるを得ないところまできてしまった、の方が正しいのかな。あまりにもむなしいね。なんなんだ蛮幽鬼

 

 

蛮幽鬼の中の英雄とは

蛮幽鬼のテーマからは少しだけ離れますがちょっとだけ書きたいことがあって。ここからは、わたしが鳳来国の国民のつもりで書きます。

単純に、国民からしてみたら惜春さまが大王になってくれたら嬉しいなあ。彼は自分のやりたいまつりごとのために息子の調部の暗殺を依頼した張本人であり、娘の美古都さままでもまつりごとの道具として扱っていたりと、人間としても父親としてもわりとさいあくです。前回のログで「優しいお父さま」って書きましたが実はあれだけは(浮名のところもですけど)真っ赤なうそです!!!!!!!!!!すみません。惜春さまのネタバレだけはしたくなかったので。あの人は、優しいお父さまを演じてただけ。でも、正直国民はそんなこと知りません。国のトップのいざこざなんてこっちに不利益がない限り国民からしたらどーーーーーーーーうだっていいもんそんなことより平和に生活を送れるようにしてほしいっすね〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!が本音。

惜春さまは頭のいいお方です。武力ではなく、はかりごとだけで自分の思うように国を動かす力をもっています。それって国民的には最高じゃん?「はかりごとなら最小限の犠牲でおさまる」ってまさに彼が言ってたその通りで、その中にたまたま息子と娘がはいっていただけ。ほんっっっとにさいあくな男ですが、でも国民はそんなこと知らないもの。先の大王も仰ってました「世間は人を見る目がないんだね」と。大王は惜春さまとは真逆の、人にお優しい方でしたが、しかしそれが仇となって国をいい方向に向かわせることができなかった。それは国民にとってのたった一つの事実です。大王があんなにもお優しい方であったことなんてこれっぽっちも考えず、あの人はなんにもできなかった!無能だ!だなんて好き勝手言うのが世間でしょ?それに反して、まつりごとのために我が子をころすことも厭わない非情な惜春さまは、頭が切れて、武力よりもはかりごとで国を動かすというだけで英雄なんですよ。そう、世間は人を見る目がないんです。そういうものなんです。それが世間なんですよ〜〜〜〜〜〜りふじん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

まあ惜春さまはころされてしまったので、彼が国のトップとなる日は来ませんでしたけれどね(無慈悲)。

 

余談ですけど、主人公の土門は、中途半端に残ってしまっていた良心のせいで英雄になれなかったざんねんなおひとです。いや別に彼は英雄になりたかったわけではないけど。道活の最期のシーン、道活は土門の復讐のせいで目の前で息子の浮名を亡くしました。親としてはどれほどつらいことなのか想像もつかないくらい、かなしくて許せないことだとおもいます。道活のかっこいいところは「俺を殺すか?お前は俺が浮名の父親だってだけで俺を殺すのか?それがお前の復讐か?だったら殺せ」って言えちゃうところ。そして僅かに残ってる良心に引っ張られて道活を逃がそうとする土門に「俺も必ず復讐するぞ。生きてお前に煮え湯を飲ませてやる。それが嫌ならここで殺せ。できねえか?」って言えちゃうんですよね、か、かっこいい〜〜〜!!!!!人間の本質を理解していながらそれに抗わないってかんじがめちゃくちゃすき……。土門はここで道活をころしておかないといけなかったんですけれど、やっぱりそれができないんですよね。道活は必ず復讐しに来るって言っています。もしかしたら、もしかしたら大きな戦になるかもしれない。その可能性もぜろではない。そうなったらまた無益な血が流れることになるわけです。良心を捨てて非情ならなければ救えない命ってあるわけで。復讐したいって気持ちは土門が一番よくわかっているはずですから、だからこそやっぱり彼が道活をころさなければならなかったのでは?とおもいます。結局のところ、ここではまだ彼は罪を背負う覚悟ができてなかったんです。それは軽い気持ちで土門を陥れた浮名や空麿とまったくおなじじゃん????????などとおもっちゃいますね〜〜〜〜〜〜。土門嫌いじゃないですよそういうところ。むしろすき。

まあどちらにせよ、そんな野望を叶える間もなく道活もころされてしまうんですけれどね(無慈悲)。我が子を亡くした親の復讐によって。愛が生まれた同じ場所でにくしみだけが育っていく…。

 

鳳来国の大王がころされてからは、美古都さまが大王の座について国を動かさなければならなくなりました。でも、サジや土門たちが起こした一連の事件から、惜春さま、道活、浮名、空麿といった大臣たちが次々と亡くなり、傍目に見ても、こ、この国やばくない…???????という状況に陥ります。蛮幽鬼ではここまでしか物語が描かれていませんが、残された美古都さまがこからどんなまつりごとをして、どんな国をつくっていくのか。正直、やっぱりわたしは惜春さまのやり方こそ国民的には安心できるとおもうのですけれど、でも、でも、でもやっぱり、惜春さまとは違うやり方で国がよくなるならその方が断然いいはずです。たんぜんいいよね??????そのはず。刀衣を見ていればわかる、美古都さまは父上と違って情を大切にするお方であると。それこそ先の大王のように。先の大王にできなかったことを美古都さまが成し遂げれば、それはもう、すごいよ。すごいことです。理想じゃん。美古都さまにはつよく生きてほしい。がんばってほしい…。

 

すごく長々と書きましたが、ほんとはもっと色んなこと書けるんです…書かないけど…文字数がやばいので……。

これが全てではないし、ひとによってそれぞれの解釈があればいいとおもいます。蛮幽鬼は色んなことを考えさせられるのですきだなあと改めて感じました。ほんとうにだいすきです。出会えてよかったなっておもいます。